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2011年8月

2011年8月28日 (日)

ボローニャに生きるボノニア

 

前回書いたように、ボローニャという町は古くから交通の要所でした。紀元前の古代ロー

マ時代から、リミニとピアチェンツァを結ぶVia Emiliaが築かれ、様々な人、文化、思想が

交差する新奇に富んだ町でした。アペニン山脈の麓に寄り添い、パダーナ平原に繋がる

土地で得る豊かな水と肥沃な大地は、ボローニャが与えられた大きな財産。交差する人

や文化、豊かな自然、時に過酷な歴史が、この町と人を育て鍛えたのだろうと感じています。

 

Panoramadibologna1_3    

  

そんなボローニャの町の由来を、かいつまんでご説明すると...

紀元前6-4世紀、ボローニャの町はエトルリア人によって築かれ、“Felsina(フェルシー

ナ”という名で呼ばれていました。この名、一説では“Fertile”(肥沃な)に由来すると言いま

す。今もボローニャ人が“I cittadini felsinei”と呼ばれ、ボローニャにたくさんの“Felsina”と

名のつくお店や工房があるのは、エトルリア時代のこの名が、今も受け継がれているから

なんです。

 

続いて紀元前3世紀頃、Felsinaの町にケルト人がやってきました。戦いに勝利した彼等は

この町に“Bononia(ボノニア)”という名を与えました。ものの本によると、ケルト語の“Bona”

(建設・基礎)に由来すると言います。実はこれを書くにあたって、ボローニャの歴史に精通

したロベルタ女史にも助言をもらったのですが、『きっと恐らくBononiaは、ドイツ語の“Bonn”、

そして卓越した町の“onia”に由来し、つまりBononiaはBella Citta(美しい町)を意味する。

そしてその後、この地を統治した古代ローマ人はケルト人がつけたこの名を引継ぎ、ボロ

ーニャをBononiaと呼んだことからは、ラテン語にもなっている』というのが彼女の説でした。

 

Genusbononiae  

  

この“Bononia”も、Barの名やお店などで時折見かけることがあります。

そして、今ボローニャの町で見られる修復プロジェクトの名“Genus Bononiae”にも...。

 

【Genus Bononiae - Musei nella città】の公式サイト(イタリア語)

 

ラテン語のこの言葉、ちょっと難しいのですが“ボノニアの末裔”、あるいは“ボノニアの血

統”と訳せばいいでしょうか。CARISBO・ボローニャ貯蓄銀行財団の頭取の発案で始まっ

たこのプロジェクトは、ボローニャの歴史的旧市街にあるパラッツォや教会を修復し、美術

館や図書館、コンサート会場として一般に提供しようというもの。2011年2月からオープンし、

現在チェントロの8ヶ所で、無料公開されています。

 

Sangiorgioinpoggiale  

 

私もそのうちの7ヶ所を、美術を専門とするボローニャの奥様の案内で訪れましたが、ど

の建物も教会もそれは見事に修復され、そこに現代の美の粋を加え、なんともいえない心

地よい空間となっています。滞在中、何度となく訪れ、美術やピアノコンサートをで楽しんで

きました。上の写真は、元々教会だった建物を利用した美術と歴史専門の図書館、San

Giorgio in Poggiale(サン・ジョルジョ・イン・ポッジャーレ)。読書室は、クラウディオ・パルミッ

ジャーニの現代アート作品で飾られ、静謐な図書館の雰囲気と見事に融合しています。

 

滞在時に更新した以下の記事でも、他の美術館や教会について書いています。

『ボローニャの美的空間~GENUS BONONIAE』

 ・San Giorgio in Poggiale(サン・ジョルジョ・イン・ポッジャーレ)

 ・San michele in Bosco(サン・ミケーレ・イン・ボスコ)

『ボローニャで音楽に出会った日』

 ・San Colombano(サン・コロンバーノ)

 ・Chiesa di Santa Cristina(サンタ・クリスティーナ教会)

 

住民から得たお金で町の財産を美しく蘇らせ、そこで住民に文化や娯楽を提供するという

この還元の発想。日本にも、そういう知的発想と実行ができる企業家が多く現れることを

望みたいです。この他にも、現代のボローニャに生きるBononiaの末裔の心意気は、町の

様々なところで見ることができますので、また別の機会に少しずつ触れてまいりますね。

 

“ボローニャという町”はゆっくり更新ですが、クリック頂けると嬉しいです。Grazie!

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2011年8月25日 (木)

素敵で嬉しい、思い出のイタリア語

 

忙しさに取り紛れて、先日8月15日の祝日フェッラゴスト当日夜に、ようやくイタリアへBuon 

Ferragostoのメールを送りました。その日、現地はヴァカンス中のヴァカンスで、今そろそろ

家に戻った方々から、返事が届いています。ボローニャは、なんと40度近い猛暑と高い湿

度で、皆熱波が通り過ぎるのをひたすら待っている様子。

 

筆まめでない私は、ロベルタからのメールにやっと返事を書き、足りない言葉を補うため

日本の花火の写真など添えてBuon ferragostoのメールを送りました。すると早速チェック

が入り、花火=il fuoco d'artificioはfuochi artificialiが正解だとか。また、日本の花火の美

しさは世界一だと書いた私に、“BELLISSIMI!.... MAGNIFICI!...”と。

 

20110825_1  

  

そして、“ヴァカンツァに行っていた為、遅れてお祝いメールを受け取った”と書かれた後に、

“Comunque in italiano si dice: "l'uovo di Pasqua e` buono anche dopo Pasqua"!......”

(でもね、イタリアではこう言うの、『パスクワの卵は、パスクワの後でも美味しい』ってね。)

彼女は年の功か、こういうideomatico(慣用句)というかmodo di dire(言い回し)をよく使

い、その一つ一つが素敵で大好きでした。以前にもご紹介しましたが、私を評して言ってく

れたこの言葉、

“Nella botte piccolla ce` il buon vino.”『小さな樽には美味しいワインが入っている』。

これは、私がイタリアでもらった今も忘れられない嬉しい言葉です。

また、3、4日ほど留守にし戻ってきた彼女がまず発した言葉、“hai sentito da sola?”

『一人で寂しかった?』。意外な言葉にピンとこず、頭の中で反芻しながらキョトンとした私

でした。

 

20110825_2  

 

そんなヴォキャブラリー豊かなロベルタですが、普段は意外と愛想なし。

イタリアでは、イタリア人も道に迷う道路の複雑さ。車でチェルトーザ・ディ・パヴィーアへ行

きたかった私たちですが、小さな町へ迷いこみ、幾人かに道を尋ねることに。ロベルタは、

『Scusi、Signora!Per Certosa di Pavia?』

(失礼、奥さん。チェルトーザ・ディ・パヴィーアへは?)と、私にはちょっと横柄に聞こえる

尋ね方。ガエターノと私は、その都度恐縮して“Grazie gentile!”と御礼を。

そういう言い方でいいのかな、と思い始めた私ですが、ガエターノは...

『 Scusi Signore!!Noi siamo poverini,dove si trova....』

(旦那さん、すいません。私たちは道に迷った可愛そうな子羊なんです(ウソ、そこまでは言

ってませんが。)チェルトーザ・ディ・パヴィーアは、どこにあるのでしょうか?)

二人の性格が良く表れています...。

 

結局、郵便屋さんを含め数人の人に尋ねたものの、間違いばかり教えられ、自力で町か

ら脱出した私たち。最後に、“○○町のstupidaーー!!(バカヤロー!!)”と叫んだロベ

ルタは、まるで小学生のようでした。

 

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2011年8月19日 (金)

始まりはボローニャ中央駅から

 

ボローニャのシンボルといわれる場所はいくつかありますが、Stazione di Bologna Centrale

(ボローニャ中央駅)は、ボローニャでの第一歩を踏んだ場所であり、何度となくここから

旅に出た私の、たくさんの思い出の始まりとなった場所。というわけで、“ボローニャという

町”の始まりはここから。

 

Stazionebolognacentrale_1  

 

遠い昔から交通の要所だったボローニャの、初代駅舎は1876年に完成。まずはミラノ方

面へと向う列車が開通し、続いてフェッラーラを通ってヴェネツィア方面へ、そしてトスカー

ナへと向う路線がここから発車しました。今では東西南北イタリア各方面への列車が行き

かう、大きなターミナル駅となっています。TRENITALIAによると、一日の平均利用客数は

15万9000人、年間利用者は5千800万人におよぶとか。

 

Stazionebolognacentrale_2  

 

切符売場の窓口はいつも混んでいますが、自動券売機の数が多く、私の滞在時はほとん

ど待つことなく切符を購入することができました。駅構内にはBAR、タバッキ、エディーコラ

やファーストフード店があり、ちょっとしたショップも2、3あります。有料トイレ、荷物預かり

所、薬局などの施設も完備。詳しくはTRENITALIAのページでどうぞ。

TRENITALIA・BOLOGNA CENTRALEのページ

 

ローマのテルミニ駅やフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅、ミラノ中央駅のような、

き止まり型の駅ではないため、地下へ降りなければ行けないホームが多く大きなスーツ

ケースの上げ下ろしに難儀しましたが、今は全てのホームにエレベータが設置され、本当

に楽になりました。でも、いつでも親切な人たちが現れ、手を貸してくれた以前を懐かしく

思ったりして。勝手なものですね。

 

Stazionebolognacentrale_4  

 

主要ホームのほか、Est、Ovestに別のホームがあり、ローカル線はここからの発着が多

いのです。私は人の少ないPiazzale Ovestの雰囲気が好きで、ローカル線で帰ってきたと

き、列車がここに到着すると、やっとボローニャに帰ってきた!とホッとしたものです。

 

Stazionebolognacentrale_6  

 

1980年8月2日、このたくさんの人が行き交うボローニャ中央駅で、今もボローニャの人た

ちが忘れられない大きな悲劇が起こりました。真夏の土曜日の朝、たくさんの人がこの中

央駅から旅立ち、ここに到着し、またここで乗換えの列車を待っていました。1番ホームの

前にはSala d'attesa(待合室)があり、今も列車を待つたくさんの人の姿が見られます。

 

午前10時25分、その待合室で大きな爆発が起こり、待合室のみならず駅舎は崩落、多く

の人がその下敷きになり、85人が死亡、200人以上が負傷するという大惨事となりました。

この爆破は待合室にあったスーツケースに入った爆薬によるもので、テロリストの仕業で

した。このネオファシストによる無差別テロは、強い共産主義思想をもつボローニャの人た

ちにとって、耐え難い怒りと悲しみをもたらしたことでしょう。この事件について話してくれた

学校の先生は、駅に行ったら10時25分で止まった時計をみるように、と言いました。今もこ

の時の記憶を留めるために、爆破が起こった時間のまま残されているのです。

 

Stazionebolognacentrale_5 

 

また、現場となった駅の待合室、そして町の中心にあるSala borsaの前にはこのテロで亡

くなった犠牲者たちの名前が掲げられています。この中には、一人の日本人の若者の名

も。世界中の人々が行き交うこの駅で起こった悲劇は、今も風化することなくボローニャの

人々の心に残り、2011年の今年も、広場や大通りを埋め尽くすたくさんの人々による追悼

式が行われました。

事件直後の様子や今年の追悼式について、corriere della seraの記事で見ることができます。

 

その後再建された駅舎ですが、今再び建て替えの計画が進み、2008年8月のコンクール

で選ばれた日本人建築家の磯崎新氏のデザインによる駅舎の建設が予定されています。

とはいえ、私が滞在中はまだまだ手付かずのように見えましたので、完成はいつになるこ

とやら...

ただ、新しい駅舎になっても、あの時計はきっと、10時25分のまま残されることでしょう。

 

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2011年8月14日 (日)

私が見たボローニャという町

 

今回の滞在で、私にとって一層特別な町となったボローニャを、初めて訪れたのは6、7年

前のこと。フィレンツェから北へ行く鉄道が停車するボローニャ駅、いつも気になりながら

通過してしまうのがとても残念で、一度降り立ってみようと決めました。ガイドブックではほ

んの1、2ページ割かれている程度で、それほど大きな町とは思わず、とにかく交通の便

のいいこの町を拠点に、ラヴェンナやパルマなど近くの町へ出かけようと計画。そうして

始まったボローニャへの旅。

 

20110814_1  

 

それが欠かさず何度も訪れるようになったのは、美術がもたらした縁。数年前にピエロ・デ

ッラ・フランチェスカの絵をきっかけに出会い、それからというもの私とイタリアを結び、美

術の世界へと導いてくださったボローニャのご夫妻は、なかなか簡単に言葉にはできな

い存在。お二人に誘われ、会いたくなって、欠かさずボローニャを訪れるようになり、ボロ

ーニャという町を、ボローニャ人という存在を特別に感じ始めました。これは大げさではな

く私の人生にとって大きな運命だった、と感じています。

 

20110814_2  

  

そうした縁に結ばれて、ボローニャを今回の滞在の地に選んだ私。心ゆくまでその知的

で、誇り高く、自由な精神に富んだ町を歩いてきました。まだまだ、大学の町、美食の町と

呼ばれるボローニャの魅力の片鱗に、やっと触れられたかなという段階ですが、その魅力

にすっかり夢中です。

 

我が大家のロベルタ、彼女は同じ州の出身ではありますが、生粋のボロニェーゼではあり

ません。でも、十数年暮らしたローマでの生活を捨て、仕事で数ヶ月を過ごしたボローニャ

に移り住んだんだ、と言いました。『なぜって?Mi sono innamorata della Bologna(ボロー

ニャが気に入ったからよ )』...私もあなたのようになりたいわ。

 

20110814_3  

 

そんなことからこの場で、もっともっと知られてもいいはずのボローニャを、そして私の見た

ボローニャをご紹介できたらうれしいこと。とはいえ、果たして上手にまとめられるかどうか、

何分時間が足りないのが残念なところ。でも、あちこち寄り道、脱線しながらも、自分が得

た知識や受けた感動、たくさんの情報を残しておくためにも少しずつですが、ボローニャと

いう町について書いていきたいと思います。

 

どうか前置きだけで終りませんように。叱咤激励&クリックお願いします!

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2011年8月10日 (水)

イタリアの学校で出会った人々

 

先日も書いたように、長いイタリア語学習歴の中で初めて習うは、現地イタリアの語学学校。

いい大人になっても緊張しぃの私ですが、学校への初登校は全く気負うところなく、イタリ

アでの私はとてもリラックスしていたようです。簡単なテストをし、その日からクラスに参加

しました。

隣に座ったのは、17歳のアラブ系の大人びた男の子。彼とは授業中よくパートナーにな

り、単語が通じないときはお互いイラストを描いて意思疎通。13歳で家族と離れアメリカに

渡った彼は、とても17歳とは思えないしっかりした少年で、ハキハキとした明確な発言と、

時折みせる幼さと愛嬌のある表情が、私を含め皆の心をとらえました。時々遅刻したり、

休んだりする彼を、『なんてったって若いから、ね』と、好ましく見守ったものです。

 

20110811_1  

 

担当の先生はおしゃべり好きな南イタリア出身の女性。彼女の話や教え方はとてもわかり

やすく、一度彼女が休みのときに別の先生の授業を受けたことで、やはり優れた教師であ

ると実感しました。ただし!ちとえぇ加減なところがあるのが玉に瑕。上記の休みも他のレ

ッスンが入っていたのを忘れていたとか、少しの遅刻も何度か。極めつけが、自分が企画

したお別れ会も、前日ジョヴァノッティのコンサートに行って、『寝不足だからごめんネ~』と

キャンセル。参加を迷っていた私は、あぁ、そうなんやで済みましたが、年配の生徒さんは

唖然、呆然。まさにステレオタイプのイタリア人でした。

 

20110811_2  

 

クラスの生徒さんはヨーロッパの人が多く、アジア人は私と途中からクラス変えした中国

人の女性。後半は、年の近い彼女と時々ペアを組みましたが、同じアジア人といえどまっ

たく性質の違う私たち。意見が合わないとき、『その答えは絶対違う!』と執拗に主張する

彼女に対して、『あなたはその答えでいいんじゃない?私の答えはこうだから』と、少し腹を

たてながら淡白に答える私。結局どちらも頑固だった、ということですね。それ以外は、気

さくな彼女に大いに笑わせてもらい、そのオープンな性格をうらやましく感じました。

 

20110811_3  

 

そして、60台後半のドイツ人のご夫婦。奥様のために、リグーリアの美しい土地に別荘を

持つことを夢とするご主人。ご主人の70歳の誕生日に、素敵なイタリア旅行を計画してい

る奥様。顔を見合わせながら楽しくイタリア語を話す二人に、すっかりあてられました。

 

ここまで書いたのは、学校で出会ったほんのほんの一握りの人たち。さほど皆と打ち解け

た私ではありませんが、たくさんの国の人と出会い、好きなことに打ち込むひと時を共に

し、意見を交わした時間はとても貴重で忘れがたく、来年か、はたまた2、30年後か、また

あの場所で学べる日が来ることを楽しみにしています。

 

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2011年8月 6日 (土)

上達しない私のイタリア語

 

早いもので日本に戻って1ヶ月が経ちました。予想通りイタリア語に触れる機会はグッと減

り、通勤時に読む本と、イタリアからのメール、そしてインターネットのイタリア語のサイトや

ラジオが現在のイタリア語との接点。純粋にイタリア語の中で生活したあの時間は本当に

貴重だったなぁ、とつくづく感じています...

 

20110806_1  

 

ある雨の日の午後、ロベルタとガエターノが外出先から帰宅。体が冷えたのでミントティー

を入れるから一緒に飲もうと誘ってくれました。ちょっとレトロだけど、立派なティーセットを

並べながら賑やかにお茶の準備をし、ソファに座ってミントティーをすすりながらおしゃべ

り。その時は確か、星座の話から干支の話になり、Zodiacoの十二宮と同じ十二を、月で

はなく年でめぐる干支について、二人は熱心に聞いてくれました。特に、どんな生き物が干

支になっているのか興味深々でしたが、私はなんと度忘れして十二全てを言えず。その

上、うさぎはどんな性格なのか?とか、牛はどんな意味があるのか?とか、質問攻め。私

の独断の意見で答え、肯定否定様々ありながら盛り上がりました。

 

20110806_2 

 

そんな会話を続けていると、ふとガエターノがこう言いました。

『risonettaは、なかなかイタリア語が上達しないなぁ』

『そうなの...、もっとしゃべらないといけないのはわかってるんだけど』

と、そこへロベルタが、

『ちょっと、ガエターノ!あなた、彼女の言葉が私たちの言葉とどれだけ異なるか知ってる

の!?risonetta、ガエターノに言ってやんなさい!』

普段は自分も同じように、私に『上達しないわねぇ』と言うのに、人のことに関しても負けず

嫌いが出るのか、そんなことを言い出すロベルタ。いきなり課題を振られ、えっと、え~っ

と、と頭をフル回転。

『まず語順が違っていてね。例えば“Io voglio andare a Roma”が、日本語では“Io Roma a

andare voglio”になるの。』

なんて、ちんたら説明している私の横から、

『見たことある!?この子たちは文章を縦に書くのよ、しかも右から!』

私が一度見せた、日本の小説を覚えていたようです。

そこからはロベルタの独壇場。実は彼女、伊・独・仏・英語を自在に操り、それを生業とす

るプロフェッショニスタ。それらの言語がいかに似ていて、私たち日本人の言語がいかに

異なるかを見事に論じてくれました。似ている中でも、ドイツ語はまたちょっと違うようで、

数字を逆に言うとか。例えば二十五は五・二十と逆になるそうで、ガエターノと私は、アイウ

ート~(助けてくれ~)!!とひっくりかえりました。

 

とにかく、悲しいほどに上達しなかった私のイタリア語。ロベルタにはいつも、『日本語で考

えちゃダメ!』と言われましたが、私もまったく頭の柔らかい方ではないので、これがまた

難しく。あきらめではありませんが、イタリア語とは趣味の域で、ぼちぼちと付き合っていこ

うと思っています。そんな私に先日、ロベルタから嬉しいメールが。

Se vuoi fare pratica di italiano, non fare complimenti e scrivimi pure.

Se questo ti aiuta, sono disponibilissima.

(もしあなたがイタリア語の勉強を続けたければ、遠慮せずどうぞ私にメールしてらっしゃ

 い。それがあなたの助けになるなら、大いに協力するわよ)

引き続きメールからも、ロベルタのPazienza(我慢)!の言葉が聞こえてきそうです。

 

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2011年8月 2日 (火)

イタリアでBAR探し

 

前回、ステファノ・ベンニの『BAR SPORT』について書きましたが、実際私もイタリアで大い

にBARを活用しました。折角の念願のイタリア滞在だから、朝は美味しいカップチーノと甘

いパスタを食べようと、まずはBAR探し。色々なBARの雰囲気を観察して、学校へ行く途中

にある1件のBARに入ってみることにしました。特にクラシカルでもモダンでもなく、ごく普通

のBARでしたが、決め手は清潔で、繁盛して人の出入りが多く、何よりパスタが美味しかっ

たことでした。

 

20110801_1  

 

初めは何だかうさんくさそうに、かなり距離を持って接していたレジの娘さんも、毎日通うう

ちに笑顔も見られるようになり、最後は何も言わずともカップチーノとチョコレート入りのコ

ルネットを出してくれるようになりました。実はこういうのに憧れていたんです、私。元々お

茶しながらノンビリという習慣がないので、朝も昼もさっと食べてさっと出ていくのですが、

ちょっと交わす言葉が嬉しかったりして。単純なジャッポネーゼなのでした。

 

そしてすっかりイタリアに順応していた私ですが、わずかに慣れないこともありました。

それは、食器の音をたてること。お皿を置いたり並べるとき、わざとのように立てるあのガ

チャン!という音に最後までドキっとしたものです。

それはさておき、朝は大体カップチーノをオーダー、BARの人は皆カップッチョと言ってい

ましたが。意外と熱々のカッフェが出てくるBARは少なく、気温の低い朝にはもっと熱いの

がいいなぁと思いながら、リクエストは出来ずじまい。

 

20110801_2  

 

そして、学校を終えた後半の滞在では、ボローニャにあるいくつかの老舗BARのうちの一

軒に通いました。最初のBARと比べるとほんの少し、10セントずつほど値段が高いのです

が、さすがカッフェもパスタも美味しく、サービスもそつなく快適。パスティッチェリアも兼ね

ているだけあって、お菓子が絶品でした。ところが、ロベルタに『朝はどこで食べてるの?』

と聞かれ、そのBARの名を言うと、『Ti tratti!(贅沢してる)』と。そこと、もうひとつの老舗

BARの名を挙げ、『ボロニェーゼにとって特別なBAR、一種誇りなのよね』と言いました。

(彼女は生粋のボロニェーゼではありません)。おまけにわざわざガエターノを呼んで、私

が毎日その老舗BARで食べてると報告、『でもほら、なんてったってrisonettaは今ヴァカン

スなんだし』、と納得した二人でした。実際値段でいうと他のBARとたいした違いはなく、

結局二人がいうのは値段の問題ではなく、やはり老舗という敷居の高さに対しての“贅

沢”だったように思います。そんなことも感じず、気軽に通っていた私ですが、老舗BARで

の気持ちのいい朝は忘れられない思い出。二人の言う“贅沢”も十分その価値があったと

思います。

 

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