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ボローニャという町

2012年4月26日 (木)

ボローニャ生活案内、そして思い出の地図

 

ボローニャに到着して2日目。

これからこの町で生活するにあたって、必要な場所や事柄をボローニャの奥様とご一

緒に、街を回りながら教えていただきました。

 

20120409_2

 

書店、美術館、学校、郵便局や銀行など、私の生活に必要な場所を確認して、美食の

町といわれるボローニャでも、特に美味しいものやビオの食品が手に入る市場やショッ

プ、おすすめのバールやカフェを回り、チェントロの老舗食材店タンブリーニでセルフサ

ービスのランチで乾杯を。まだまだ、ボローニャで暮らすことが夢のよう。。。

 

20120426_3

 

そして、ボローニャで暮らす上で、知っておくべきなのが足の便。ボローニャはバス路

線がとても発達していて、バスに乗ればどこへでも行ける、というくらい便利な環境。こ

れを使わない手はありません。主に学校、アパート、駅を結ぶバスを、路線図を見なが

ら伝授。アパートは大通りに面した好立地です。その代わり、築400年近いコンドミニ

オは、バスが通るたびに振動でガタガタと!図太い私はすぐに慣れましたが。

 

20120426_1

 

すぐ近くのバス停は、たくさんの線が走る東西を結ぶ大通りに面し、滞在中は、そのバ

ス停を始点に、ボローニャの町を西へ東へ。歩くのが大好きな私も、後半足を痛めてか

らは本当にバスに良く乗りました。ちなみに、私が到着する数ヶ月前に、バス運賃が値

上げされ、1回1euroが1.20euroに。10回分の回数券‘CITY PASS’は、8.50euro11.00

euroになっていました(2011年7月当時)。

詳しい情報は、ボローニャ公営交通機関のHPをご参照ください。

  

20120426_2

 

そしてこれは、滞在中にずっと使っていたボローニャの地図。これとバスの路線図を

常にバッグに入れ、お昼休みに取り出しては、今日はどこへ行こうかなと考えたもの

です。また滞在中、ご夫妻やロベルタ&ガエターノ、学校の先生、クラスメイト、町の

親切なたくさんの人たちに、おすすめの場所、教会や美術館、ショップ、レストラン、

ジェラテリーアなどを教えてもらい、その都度皆に地図に書き込んでもらいました。

3ヶ月使い込んだ地図はヨレヨレになり、折り目は破れてしまっていますが、しっかり

日本へ持ち帰り、今は大切な思い出の地図となっています。

 

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2011年10月14日 (金)

花の香りにボローニャを思う

 

10月も半ばとなり、日本の状況を憂いながらも、毎日を目一杯大切に過ごしています。

そして、着実に深まる秋。階下に咲く、秋の花の金木犀が、私に初夏のイタリアの記憶

をよみがえらせます。

 

金木犀を思い起す、強い甘い香りを放つその木を指差し、『これはなんという木?』と尋

ねると、ロベルタは『その木は“Tiglio”よ。いい香りだけど...ちょっと頭が痛くなるわね。

薬としても用いられるから、きっと強い力があるのね。』と教えてくれました。その場で辞

書を引くと、“Tiglio”=“シナノキ”とあります。その淡黄色の花が放つ香りは、私の脳に

しっかり沁みこみ、今でもその香りをよみがえらすことができます。そしてその香りにイタ

リアを、ボローニャを思い出すのです。

 

Piazzasantostefano1  

  

ボローニャの町にたくさんある教会の中でも、起源を5世紀に遡る古い7つの教会が集ま

った(現存する教会は4つ)、歴史の積み重なりをその姿に残す教会群、サント・ステファノ

教会。初めてボローニャを訪れたときから、私たちはこの教会の持つ雰囲気に惹かれまし

た。それからは欠かさず訪れ、教会の中に入らぬことはあっても、外の広場に座って、教

会を眺め、人の行き交いを眺めながら過ごしました。

 

そして、念願かなったボローニャでの生活。毎朝その姿を眺めながら、町を西へ東へ。お

昼には広場に面したカフェで、イタリア語の嵐に疲れた頭にカッフェでエネルギー補給を。

そして夕方、ジェラートを食べながら、広場を囲むように立つ豪奢なパラッツォの、ポルティ

コの下に腰掛け、本を読む。すると時折、広場を横切る自転車が、ガシャーン!と豪快に

横転。何せ、ここの広場の敷石は小さくって、おまけに丸こくって。歩くのも大変なのに、

小刻みにジャンプしながら走り抜けて行く自転車乗りは、なかなかテクニシャンです。

 

Piazzasantostefano3  

 

ボローニャ名物とも言われるポルティコ(柱廊)ですが、このサント・ステファノ広場を囲む

ポルティコはとりわけ美しいのです。中世の時代、貴族や豪族たちが競ってここに邸宅を

建てました。美しいファサードのパラッツォが建てられれば、それ以上のものを。そうして

この広場は、ゴシックやルネッサンス様式の美溢れるパラッツォに囲まれることになった

のです。

 

午後3時頃になると、昼休憩を終えた教会の扉が開くのを待つ観光客が広場に集まりま

す。といっても、ボローニャをツアーで訪れる人は少なく、あちらこちらでガイドの説明が

飛び交うと言う喧騒はなく、あくまでのどかな午後。

 

Piazzasantostefano2   

 

この教会群のお話はまたいずれ...。ひとつ、この教会の中には私のお気に入りの売店

があります。そこで、教会のラベルが貼られたTiglioの花の蜂蜜を見つけ、その重さにも

躊躇することなく買い求めました。先日とうとうシジッロを切り、固い蓋を開けると、Tiglio

の花の香りがふんわり漂い、私のイタリアの記憶をくすぐったのです。

 

たくさんアクセス頂き、いつも励みになっています。Grazie mille!

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2011年8月28日 (日)

ボローニャに生きるボノニア

 

前回書いたように、ボローニャという町は古くから交通の要所でした。紀元前の古代ロー

マ時代から、リミニとピアチェンツァを結ぶVia Emiliaが築かれ、様々な人、文化、思想が

交差する新奇に富んだ町でした。アペニン山脈の麓に寄り添い、パダーナ平原に繋がる

土地で得る豊かな水と肥沃な大地は、ボローニャが与えられた大きな財産。交差する人

や文化、豊かな自然、時に過酷な歴史が、この町と人を育て鍛えたのだろうと感じています。

 

Panoramadibologna1_3    

  

そんなボローニャの町の由来を、かいつまんでご説明すると...

紀元前6-4世紀、ボローニャの町はエトルリア人によって築かれ、“Felsina(フェルシー

ナ”という名で呼ばれていました。この名、一説では“Fertile”(肥沃な)に由来すると言いま

す。今もボローニャ人が“I cittadini felsinei”と呼ばれ、ボローニャにたくさんの“Felsina”と

名のつくお店や工房があるのは、エトルリア時代のこの名が、今も受け継がれているから

なんです。

 

続いて紀元前3世紀頃、Felsinaの町にケルト人がやってきました。戦いに勝利した彼等は

この町に“Bononia(ボノニア)”という名を与えました。ものの本によると、ケルト語の“Bona”

(建設・基礎)に由来すると言います。実はこれを書くにあたって、ボローニャの歴史に精通

したロベルタ女史にも助言をもらったのですが、『きっと恐らくBononiaは、ドイツ語の“Bonn”、

そして卓越した町の“onia”に由来し、つまりBononiaはBella Citta(美しい町)を意味する。

そしてその後、この地を統治した古代ローマ人はケルト人がつけたこの名を引継ぎ、ボロ

ーニャをBononiaと呼んだことからは、ラテン語にもなっている』というのが彼女の説でした。

 

Genusbononiae  

  

この“Bononia”も、Barの名やお店などで時折見かけることがあります。

そして、今ボローニャの町で見られる修復プロジェクトの名“Genus Bononiae”にも...。

 

【Genus Bononiae - Musei nella città】の公式サイト(イタリア語)

 

ラテン語のこの言葉、ちょっと難しいのですが“ボノニアの末裔”、あるいは“ボノニアの血

統”と訳せばいいでしょうか。CARISBO・ボローニャ貯蓄銀行財団の頭取の発案で始まっ

たこのプロジェクトは、ボローニャの歴史的旧市街にあるパラッツォや教会を修復し、美術

館や図書館、コンサート会場として一般に提供しようというもの。2011年2月からオープンし、

現在チェントロの8ヶ所で、無料公開されています。

 

Sangiorgioinpoggiale  

 

私もそのうちの7ヶ所を、美術を専門とするボローニャの奥様の案内で訪れましたが、ど

の建物も教会もそれは見事に修復され、そこに現代の美の粋を加え、なんともいえない心

地よい空間となっています。滞在中、何度となく訪れ、美術やピアノコンサートをで楽しんで

きました。上の写真は、元々教会だった建物を利用した美術と歴史専門の図書館、San

Giorgio in Poggiale(サン・ジョルジョ・イン・ポッジャーレ)。読書室は、クラウディオ・パルミッ

ジャーニの現代アート作品で飾られ、静謐な図書館の雰囲気と見事に融合しています。

 

滞在時に更新した以下の記事でも、他の美術館や教会について書いています。

『ボローニャの美的空間~GENUS BONONIAE』

 ・San Giorgio in Poggiale(サン・ジョルジョ・イン・ポッジャーレ)

 ・San michele in Bosco(サン・ミケーレ・イン・ボスコ)

『ボローニャで音楽に出会った日』

 ・San Colombano(サン・コロンバーノ)

 ・Chiesa di Santa Cristina(サンタ・クリスティーナ教会)

 

住民から得たお金で町の財産を美しく蘇らせ、そこで住民に文化や娯楽を提供するという

この還元の発想。日本にも、そういう知的発想と実行ができる企業家が多く現れることを

望みたいです。この他にも、現代のボローニャに生きるBononiaの末裔の心意気は、町の

様々なところで見ることができますので、また別の機会に少しずつ触れてまいりますね。

 

“ボローニャという町”はゆっくり更新ですが、クリック頂けると嬉しいです。Grazie!

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2011年8月19日 (金)

始まりはボローニャ中央駅から

 

ボローニャのシンボルといわれる場所はいくつかありますが、Stazione di Bologna Centrale

(ボローニャ中央駅)は、ボローニャでの第一歩を踏んだ場所であり、何度となくここから

旅に出た私の、たくさんの思い出の始まりとなった場所。というわけで、“ボローニャという

町”の始まりはここから。

 

Stazionebolognacentrale_1  

 

遠い昔から交通の要所だったボローニャの、初代駅舎は1876年に完成。まずはミラノ方

面へと向う列車が開通し、続いてフェッラーラを通ってヴェネツィア方面へ、そしてトスカー

ナへと向う路線がここから発車しました。今では東西南北イタリア各方面への列車が行き

かう、大きなターミナル駅となっています。TRENITALIAによると、一日の平均利用客数は

15万9000人、年間利用者は5千800万人におよぶとか。

 

Stazionebolognacentrale_2  

 

切符売場の窓口はいつも混んでいますが、自動券売機の数が多く、私の滞在時はほとん

ど待つことなく切符を購入することができました。駅構内にはBAR、タバッキ、エディーコラ

やファーストフード店があり、ちょっとしたショップも2、3あります。有料トイレ、荷物預かり

所、薬局などの施設も完備。詳しくはTRENITALIAのページでどうぞ。

TRENITALIA・BOLOGNA CENTRALEのページ

 

ローマのテルミニ駅やフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅、ミラノ中央駅のような、

き止まり型の駅ではないため、地下へ降りなければ行けないホームが多く大きなスーツ

ケースの上げ下ろしに難儀しましたが、今は全てのホームにエレベータが設置され、本当

に楽になりました。でも、いつでも親切な人たちが現れ、手を貸してくれた以前を懐かしく

思ったりして。勝手なものですね。

 

Stazionebolognacentrale_4  

 

主要ホームのほか、Est、Ovestに別のホームがあり、ローカル線はここからの発着が多

いのです。私は人の少ないPiazzale Ovestの雰囲気が好きで、ローカル線で帰ってきたと

き、列車がここに到着すると、やっとボローニャに帰ってきた!とホッとしたものです。

 

Stazionebolognacentrale_6  

 

1980年8月2日、このたくさんの人が行き交うボローニャ中央駅で、今もボローニャの人た

ちが忘れられない大きな悲劇が起こりました。真夏の土曜日の朝、たくさんの人がこの中

央駅から旅立ち、ここに到着し、またここで乗換えの列車を待っていました。1番ホームの

前にはSala d'attesa(待合室)があり、今も列車を待つたくさんの人の姿が見られます。

 

午前10時25分、その待合室で大きな爆発が起こり、待合室のみならず駅舎は崩落、多く

の人がその下敷きになり、85人が死亡、200人以上が負傷するという大惨事となりました。

この爆破は待合室にあったスーツケースに入った爆薬によるもので、テロリストの仕業で

した。このネオファシストによる無差別テロは、強い共産主義思想をもつボローニャの人た

ちにとって、耐え難い怒りと悲しみをもたらしたことでしょう。この事件について話してくれた

学校の先生は、駅に行ったら10時25分で止まった時計をみるように、と言いました。今もこ

の時の記憶を留めるために、爆破が起こった時間のまま残されているのです。

 

Stazionebolognacentrale_5 

 

また、現場となった駅の待合室、そして町の中心にあるSala borsaの前にはこのテロで亡

くなった犠牲者たちの名前が掲げられています。この中には、一人の日本人の若者の名

も。世界中の人々が行き交うこの駅で起こった悲劇は、今も風化することなくボローニャの

人々の心に残り、2011年の今年も、広場や大通りを埋め尽くすたくさんの人々による追悼

式が行われました。

事件直後の様子や今年の追悼式について、corriere della seraの記事で見ることができます。

 

その後再建された駅舎ですが、今再び建て替えの計画が進み、2008年8月のコンクール

で選ばれた日本人建築家の磯崎新氏のデザインによる駅舎の建設が予定されています。

とはいえ、私が滞在中はまだまだ手付かずのように見えましたので、完成はいつになるこ

とやら...

ただ、新しい駅舎になっても、あの時計はきっと、10時25分のまま残されることでしょう。

 

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2011年8月14日 (日)

私が見たボローニャという町

 

今回の滞在で、私にとって一層特別な町となったボローニャを、初めて訪れたのは6、7年

前のこと。フィレンツェから北へ行く鉄道が停車するボローニャ駅、いつも気になりながら

通過してしまうのがとても残念で、一度降り立ってみようと決めました。ガイドブックではほ

んの1、2ページ割かれている程度で、それほど大きな町とは思わず、とにかく交通の便

のいいこの町を拠点に、ラヴェンナやパルマなど近くの町へ出かけようと計画。そうして

始まったボローニャへの旅。

 

20110814_1  

 

それが欠かさず何度も訪れるようになったのは、美術がもたらした縁。数年前にピエロ・デ

ッラ・フランチェスカの絵をきっかけに出会い、それからというもの私とイタリアを結び、美

術の世界へと導いてくださったボローニャのご夫妻は、なかなか簡単に言葉にはできな

い存在。お二人に誘われ、会いたくなって、欠かさずボローニャを訪れるようになり、ボロ

ーニャという町を、ボローニャ人という存在を特別に感じ始めました。これは大げさではな

く私の人生にとって大きな運命だった、と感じています。

 

20110814_2  

  

そうした縁に結ばれて、ボローニャを今回の滞在の地に選んだ私。心ゆくまでその知的

で、誇り高く、自由な精神に富んだ町を歩いてきました。まだまだ、大学の町、美食の町と

呼ばれるボローニャの魅力の片鱗に、やっと触れられたかなという段階ですが、その魅力

にすっかり夢中です。

 

我が大家のロベルタ、彼女は同じ州の出身ではありますが、生粋のボロニェーゼではあり

ません。でも、十数年暮らしたローマでの生活を捨て、仕事で数ヶ月を過ごしたボローニャ

に移り住んだんだ、と言いました。『なぜって?Mi sono innamorata della Bologna(ボロー

ニャが気に入ったからよ )』...私もあなたのようになりたいわ。

 

20110814_3  

 

そんなことからこの場で、もっともっと知られてもいいはずのボローニャを、そして私の見た

ボローニャをご紹介できたらうれしいこと。とはいえ、果たして上手にまとめられるかどうか、

何分時間が足りないのが残念なところ。でも、あちこち寄り道、脱線しながらも、自分が得

た知識や受けた感動、たくさんの情報を残しておくためにも少しずつですが、ボローニャと

いう町について書いていきたいと思います。

 

どうか前置きだけで終りませんように。叱咤激励&クリックお願いします!

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